本日のカデンツァ

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コンサートオペラ”ペレアスとメリザンド”

“ペレアスとメリザンド”、1902年に初演されたドビッシーのオペラである。
本日、新国立劇場、中劇場にて演奏会形式でのコンサートオペラに出かけた。
もともとこのオペラの背景は心理的描写の背景にファンタジーがある。
森の奥深く、暗く、かすかにしか日の当たらない場所、月明りに照らされる夜、光の配分はごくわずかである。
人物像に照らされるライトモチーフが存在し、オペラに特徴的なアリアなどは存在しない。音楽はこれほどまでに叙情、叙景描写に徹し、森の中での人生の儚さ、空しさ、寂しさに役割を持たせているオペラは類をみないかもしれない。
ゴローのテーマで始まるこの作品にいつも思うことは、唯一の印象派音楽家と言われるドビッシーの音の描写である。
絶えず移ろい行く登場人物の人生の不安感を音で綴り続けている。
台詞(歌詞)の役割は補助的に過ぎない。
以前、この作品の現代的設定への読み替えの演出を観たことがあるが、音と演出のギャップを感じずにはいられなかった。
今回の若杉さんのコンサートオペラは登場人物に舞台上動きを少しつけながら余計な演出はないいわゆる演奏会形式に近いオペラである。台詞と音楽の進行の中に、観ているものは心理描写を自然にかつ自由に付加できる。
唯一の舞台演出として、2幕、5幕でのメリザンドのもつ花と5幕で生まれる新しい子どもの生命としてのピンクのリボンの存在である。
演出と心理描写、音楽の融合が難しいオペラだけに、むしろこのコンサート形式の方が受け入れやすかったかもしれない。
特にゴロー(星野淳)とメリザンド(浜田理恵)の心理描写が読み取れる声のバランスが際立っていた。
緑深い森のなか、長い髪の毛のメリザンド、大人の中で右に左に揺れるイニョルドのアンバランスさ。ゴローとペレアスのいつの間にか芽生えた葛藤。
若杉弘の率いる東フィルは最初の幕こそ、音色のバランスがやや足りない感じがしたものの、次第に観ている聴衆に創造的心理描写を与える音楽優位の演奏に変化していた。全体としてバランスがとれ理解しやすい作品に仕上がっていた。
終演後、若杉さんへの暖かいカーテンコールが一頻り続き、新国立劇場今シーズンの幕を静かに閉じた。

2008年6月29日 新国立劇場、中劇場 14時開演
芸術監督・指揮 若杉弘
ペレアス 近藤政伸
メリザンド 浜田理恵
ゴロー 星野 淳
アルケル 大塚博章
ジュヌヴィエーヴ 寺谷千枝子
イニョルド 國光ともこ
医師/羊飼い 有川文雄

東京フィルハーモニー交響楽団
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by aurorapiano | 2008-06-29 18:09 | オペラ

そしてラ・トラヴィアータ 3つの“E strano!”

“E strano!”とは “不思議だわ・・・”


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1幕最後のヴィオレッタのアリアは“E strano, E strano・・・”で始まる。楽しいパーティーからひとりになる場面である。
ここでヴィオレッタは誠実な愛を歌う。歓喜と苦悩の両方が存在している。ひとりの男性からの愛,道から外れた女,そして不治の病。そこには感情の混迷が溢れている。そして悲劇の予感を少し感じさせながら真実の愛,生きる力を描き出していく。


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2幕ジェルモンが登場する直前の“E strano!”真実の愛を引き裂かれていくかもしれない悲しみの強い予感。神は許してくれても,世間は許してくれないのね。
次第ににふつうの女性としてのヴィオレッタの強い絶望感がひとつの死生観として見え隠れしてくる。


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そして3幕のフィナーレ。1幕最後のアリアで全世界の中でもっとも神秘的で誇り高いアルフレードから愛のメロディのイントロのあとの、最期の“E strano!”
止まったわ、激痛が、苦痛が。いつもと違う活力がうまれ、生きることに戻れるかもしれない・・・神よお救いください。
最期を前に、不思議に苦痛がなくなる瞬間があるという。

“E strano!” とは“人間の認識理解をこえていること。人知の遠く及ばないこと。”
これはふつうの生活の中にもある感情であり、E strano!によりドラマが少しずつ変化していくのだろう。 
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by aurorapiano | 2008-06-25 18:15 | オペラ

ラ トラヴィアータ 2つの前奏曲

第1幕、前奏曲のはじまり。あくまで少し悲劇を予感させる程度、決して悲愴感を感じさせない入り方、ここはこの方が好きだ。ここでは少なくともヴィオレッタの死の予感はない。ロ短調ミサに代表されるh-mollは少し、敬虔なミサのような感じさえする。実際の記譜はシャープが4つ、記譜上は何故か明らかなロ短調でない。
受けとめやすいテンポなのだ。不幸や死を予感させる呼吸ではなく、日常の喜怒哀楽の中に存在する息づかいに似ている。
続くヴィオレッタの愛のテーマ、2幕1場でアルフレッドに別れを告げるシーンで再現される”私を愛して頂戴”。極端なデクレッシェンドはなく不幸や悲劇的展開、そして死をはっきりと予見させず、この前奏曲はあくまでE-durであることを示しているように感じる。(2幕1場ではF-durである。)

第3幕の前奏曲、これはc-mollで同じテーマが繰り返される。音量的な変化はさほどなくむしろ弱々しさはない。1幕のそれに比べ、ぐーっとテンポを落としている。このテンポの緩急が愛の喜びと別れそして死を見事に表現している。
後半のアーフタクトで入る半音階的下行でテンポを緩めそのルバートさは、心と心拍そのもののずれが生じたように、何かが起こる予感を示唆する。
アルフレッドが戻ってきて幸福の絶頂のヴィオレッタが再びそこにあり、パリを離れて、二人でゆっくり幸せに。
その瞬間に初めて本当の最期の時を迎える。

2008.6.11 新国立劇場 『椿姫』 
指揮 上岡敏之  東京フィルフィルハーモニー交響楽団
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by aurorapiano | 2008-06-23 20:12 | オペラ

音楽・四方山話


by aurorapiano
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