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本日のカデンツァ

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ヴェルディにとってのマンゾーニそして死生観

“頭にまとわりついたテーブル掛けを取り払おうとさえせず、まるで粘土で出来かけの彫像が、彫刻師がその上に掛けた湿った布を羽織っているかのように、突っ立っていた。”・・・人間が彫像化し、声が出なくなり、身体も動かせなくなってしまった。

ここには直喩的表現を用いた外的描写に加え、内的心理も見事なまでに描かれている。
これは洗練されたイタリア・トスカーナ語を確立したというアレッサンドロ・マンゾーニの「いいなづけ」の一節である。そのマンゾーニは1873年5月22日、華麗なる88年の生涯を閉じた。

「全ては終わってしまった。我らにとって最も純粋で高潔で、最も尊い存在が彼と共に終焉を迎えた。」
ジュゼッペ・ヴェルディはイタリアの栄光マンゾーニへの尊い思いをどのような形に残せるか、彼の死に献呈したレクイエムこそがヴェルディのレクイエムであり、翌年1874年5月22日、ミラノの聖マルコ教会で初演された。

教会や聖職者に強い反感を戴いていたヴェルディ、それは彼にとってみれば自由な創作活動に圧力をかけ、イタリアの共和主義を迫害する存在であった。マンゾーニの“いいなづけ”は宗教的精神を越えた何一つうそのない真実の物語であり、その物語の最後はこう結ばれている。
『本人がいくら注意しても、いくら罪がなくとも、それでもやはり面倒なことに捲き込まれることがある。そうなったら、本人に罪があろうとなかろうと、神様を信じることが救いとなる。苦しみも和らぎ、禍転じて福となすこともある。』そして内面的表現性と正確な構成力を重視する作品の組み立て方は分野こそ違うにせよヴェルディ自身がそうであったのではないだろうか。

レクイエムの詳細については清書をご参考いただければ幸いである。

レクイエムに続く2曲目の“怒りの日(ディエス・イレ)”は終末思想の一つで神がすべての人間を地上に復活させ,天国で永遠の安息を授ける者と地獄で永劫の苦を加えられる者に選別するための生前の行いを審判するいわゆる“最後の審判”を歌ったものである。トリエント公会議で公認された4つの続唱のうちの一つである。現在では,死後の不安や恐怖をあおるという理由で1965年の第2バチカン公会議で典礼の見直しに伴って廃止されている。
リベラ・メ(Libera me)はミサ後の赦祷式で歌われる赦祷文であると同時に1868年に亡くなったイタリアのもう一つの栄光である作曲家ロッシーニの追悼のために書かれたヴェルディのレクイエムに特徴的な作品として知られる。イタリアの13人の作曲家でロッシー二の追悼レクイエムを企画したが,経済的な問題をクリアできなかったため,その企画は遂行されず,約15年後,このレクイエムに組み込まれたという経緯がある。

ヴェルディはいつもオペラの中に劇的な死というものを描いてきた。ヴェルディの死生観は栄光とともに完成されてきたといえるかもしれない。
20代の若き日に,わずか1年10ヶ月の間に二人の子どもと妻を相次いで失い,—私にとって大切な3人がこの世から消え,家庭は破壊されたー
その影響はその後の作品に現れているかもしれない。劇的な展開を表現することを好むという・・・。
ヴェルディは60歳の時,このレクイエムをマンゾーニにあてて作曲,自ら初演し,数えられないほどの再演を繰り返した。神にも近く,現代人にもほど遠くない,単に宗教性とどまらないレクイエム。
ハンス・フォン・ビューローは初演時このヴェルディのレクイエムを「劇場型で宗教的精神の少なく,教会にふさわしくない」と評し,ブラームスはこの作品を「天才の作品だ」と絶賛したという。

87年の長い生涯。若き日の大きな悲劇。長く生きた人生の分,彼は様々な死と向かい合ってきた。
エネルギーの流動と静止の繰り返しが,生命の中にいつも存在し,その果てにはかならず死があり,最期に誰もが安息に導かれる。

参考著書:小畑恒夫著 『ヴェルディ』 (音楽之友社)
               マンゾーニ著,平川祐弘訳 『いいなづけ』  (河出文庫)
by aurorapiano | 2008-05-08 20:14 | あれこれ

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